舞鶴の山城117 原城

はらじょう

・舞鶴市字桑飼下小字原谷他
・遺構---曲輪、堀切、土塁、竪堀 ・占地---山頂
・標高---110m ・比高---105m ・遺跡地図番号---35

 この城は原集落東側の山頂に位置する。由良川対岸には志高城がある。城館は尾根の鞍部を二本の堀切で遮断し、主郭は長方形で、西に延びる尾根上に七段程の曲輪、北西に延びる尾根上には四段の曲輪を造成している。尾根先より二段目の曲輪は主郭よりも広い面積を有する。

 城主については、「嶽家文書」では一色兵部大夫義季、「竹原家文書」では一色兵部太夫義能としている。特に「竹原家文書」は、当城の城主一色兵部義能が細川藤孝の軍勢によって落城し、その子綱太郎義幸は帰農して竹原家の祖となったとしている。しかし、この城は、縄張り図からみると古い時代のものであり、細川藤孝の時代のものとは考えにくい面もある。

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