舞鶴の山城38 行永青山城

ゆきながあおやまじょう

・舞鶴市字行永小字青山他
・遺構----曲輪、堀切、竪堀、畝状空堀群、土橋 ・占地----山頂
・標高----160m ・比高----130m ・遺跡地図番号----434

 この城は京月団地の西方の尾根上に位置する。南側には池内谷に通じる街道がある。

 城館は中央部が堀切で遮断され、西と東の曲輪群に分かれている。西の曲輪群の北西側斜面には畝状空掘群が、北の尾根には堀切とハの字形の竪堀が敷設されて、北西からの攻撃に対して厳重な構えをしている。それに対して、東の曲輪は東側に虎口が開き、堀切には土橋も見られる。

 「牧野河内守様高付覚」は行永村の四つの古城として茶(芥)摩山、なへん地、芥子谷、馬場をあげているが、茶摩山の上羽丹波守以外は城主不明としている。行永村の古城城主として黒川丹波、一色太郎の名をあげる近世地誌もある。

 近世の大庄屋池田家の伝承によると、応仁の乱の頃、室町幕府の幕臣大和守池田重房が京から移り住み、青山の山頂に山城を築いたという。

関連する歴史の人物

関連する人物はいません。