農業出精夫婦!(弐ケ村武助夫婦)

 弐ケ村(現:福知山市大江町二箇)に住む、武助とたけと言う夫婦がいた。彼らは病身の父母に対して心を尽くし介護したが、それとともに農作業も努めた。朝には誰より早く作場へ行き、星が出る頃に帰り、また帰った後は寝ることもなく両親につかえた。このため、文化2年(1805)に藩主から白銀を授けられ、賞された。
 また、父母の死後も、周りの人々の迷惑にならないように気を付けて耕作をし、年貢も一番に皆納、人を雇って農作業をする際にも賃金を多めに与えるなど、人々に「仁をなせバ不富、富を為せバ仁ならず」はこのことと言わしめる程の様子であり、文化8年、同11年にも再び褒賞されたという。

【図 「田辺孝子伝」弐ケ村武助夫婦】


原文

二十七弐ケ村武助夫婦
弐ヶ村の民吉左右衛門といへる者ハ正直なる性質にて是非も弁へ、村中にても褒られける者なり。男女の子四人あり、是また正直なる風にて、能他人の世話などもなしける。嫡子定右衛門に家をゆづり、姉妹ハ他へ嫁せしなるべし。吉右衛門夫婦は弐男武助を連れて隠居の身となり、五石計の田地を持て別宅に住ミ、同村武左衛門といへるものゝ女、たつ、といへるを、武助妻となし、家内四人むつまじく暮しけり。武助夫婦ともに父母に孝なり。母年老し上に、寛政六子どしより中風の病にて手足叶はず、其頃より父も老屈し歩行かなハざれバ、武助夫婦昼夜かたハらを離れず看病なしける。父母とも病の上に次第に老耄して、稚きものゝごとくになり、父母中悪しく、終に一家に住むことをきらへバ、孝子に詮方なく、裏に又小部屋を営ミて母を引分ケ介抱なせども、父母ともに病ひがミて、父の介抱なせバ、裏なる部屋より母小言をいふ。又母の看病なすときハ父よび付るといふ様にて、殆六ヶしかりしを、孝子夫婦手分をなして、彼方此方とこゝろをくばりはせまハりて、昼夜帯をもとかずして看病なし事へけり。且武助農業をはげむこと余人に勝れり。晨ハ人々よりも早く作場へ行き、暮にハ星をいたゞき帰る。帰りてハ直に両親につかへて怠らざりけるを、里人隣家の者評して云、武助夫婦ともに夜も臥事あらじ。いかんとなれバ、臥してハ如是の看病もなるまじ。其上昼の草臥も有べし。如何して勤める哉、永き年月の間、骨折退屈の体も口にハ猶さら人目にも見せず、恒も替らで事へ、其上女房ハ幼少の子供を育ながらの看病苦労の体色にも顕ハさず、いつにても笑顔にて介抱なせしもいぶかしと、村中おしなへて感賞なせども、其身にては、只孝行の届ざる事のミ常に憂ひけり。母七ケ年の煩にて、享和元酉年齢八十歳にて終る。其のちハ夫婦の者、いよゝゝ父を大切になし、兄弟中もむつまじく、取分農業を励ミける事文化二丑とし高聴に達し厚く賞し給ひ則御発駕の節追手前へ被召出、御役所にて孝子等とともに白銀を賜ひける。其翌寅年、父吉左衛門八ケ年の煩にて、齢八十九才にて終る。其頃ハ武助五十一才、妻たつ四十三才なり。武助兄弟ミな律義なる者にて、就中武助ハ正直無口にして愚なるやうに見ゆれども、いか成難儀にも窮する体なく、いか成悦にも歓ぶ色なく、怒り罵る事ハ元よりあらず、すでに田畑境目の杭うつ時だも、余人より己が田畑の内へ打入るゝことも構はず、己打ときハ己の田畑のうちへ引入れてうち、或ハ境目溝さらへして泥砂ハ已が持分へあげて、すべて他人作方の障りにならざるやうになし、検見まへ村長田面を見廻る時だも、諸民われ一にと己々が作のいたミぬるよしを訴るもの多くして甚姦し。しかるに武助独は一言も出す事なく、武助が作毛皆無のやうに見ゆる故、庄屋武助にむかひ、其方の田面皆無にハあらざるやと問へば、武助ハ却手肯ずじていへるは、外より皆無と見ゆれども、刈とれバ左もなきものなりと答へて、自若たり。又年貢収納のときに至れバ、人に先だち一番に皆納して、村長も恥るばかりなり。夫故にや作毛も、他人に勝り実入よしと賞しあへり。期正直にして農業を精出し挊けるゆゑに、兄と別家なせし頃は、五石計の田地高も、今ハ余ほどの事に成り。又余人より頼母子等をたのむときハ、相応に加入し、小づかひ銭はいつにても人の用を達しける程の身分となり、人を雇ふといへども、並よりハ、賃銭余計につかハし、又人々へ用立し銀銭、先より返さざる間は催促することなく、日雇の者へ取かへおくとても、雇賃はらふとき差引なさず、其度々の賃銭のこらず渡しぬ。もし向よりさし引くれよといへば、其意に任せし事もありて、重ねて入用のときハ又用立ん事を約す。凡て廉直に為すゆゑ、不足もあまりもなく一ぱいに暮しける。所謂仁をなせバ不富、富を為せバ仁ならずとハ、武助がごときなるべし。彼が行状近村近郷までも聞えわたり善人と称しけるが、終に高聴に達し、文化八未年五月廿四日、其孝状の怠らず廉直なるを賞して、再び御蔵米七俵をたまひ、女房たつへ白銀弐枚をたまひ、同十一戌年重臣内海某、巡在之時鳥目壱貫文を賜ひけり。

(出典:『田辺孝子伝』(広瀬宗栄、1928、舞鶴町立図書館)、国立国会図書館所蔵、info:ndljp/pid/1190762)

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