乳母(うば・めのと)という言葉を見聞きしたことがあるという人も多いのではないだろうか。乳母は、実母のかわりに乳児に授乳し養育した女性のことで、特に単に乳を与えた女性は「御差し」「御乳持」とも呼ばれていた。江戸時代には将軍家や大名家でも乳母が置かれ、『守貞漫稿』によれば、江戸では乳母は奉公人の中でも最も高い給金を与えられ、乳母の子の養育費も支給されるのが普通であった。将軍家や大名家にとって、子供が無事に生まれ健康に育つか否かということは家の存続に関わる非常に重要な問題であった。疫病や飢饉が頻発し、現代と比べるまでもなく医療技術が未発達で子供の死亡率が高かった江戸時代において、乳幼児の生存に関わる乳母の存在がいかに重要であったかは、先述した乳母に対する待遇の厚さからも伺われよう。
「寛政五年伊佐津村御用日記(以下、御用日記)」からは、田辺藩が藩内の村々から乳母を募集する様子がわかる。当時は、村方の元気な女性が子供に乳を与えるのがよい、村方で育てられた子供は丈夫に育つなどと考えられていたため、田辺藩に限らず様々な藩が村方から乳母を募集していた。
さて、寛政5年(1793)8月、田辺藩役人の「大内口様が来月出産予定なので御乳持を1人募集する」という触が大庄屋を通して各村へ届けられた。「大内口様」が具体的にどのような人物であるかは不明である。ただし、『舞鶴市史・通史編(上)』に掲載された牛窪家旧蔵「丹後田辺城之図」によれば、本丸の南東、内堀と外堀の間に「大内口」(現舞鶴市南田辺大内口)とあり、その周辺に居住していた藩主の側室が「大内口様」と呼ばれていたと考えられる。触によれば、乳母となった者には給金として銀310目に加え、二人半扶持を与えるとされた。一人扶持が1人1日の食糧を玄米約5合、1ヶ月1斗5升を標準としてその1年分の米あるいは金銭を給与することであり、下級武士への俸禄が「三両一人扶持」と称されることからも、乳母への給金が比較的高いものであったことがわかる。なお、触には乳母への給金に関して「品ニゟてハ少々増給も出」とあることから、村方で募集するといっても乳母になる女性の身分もある程度重視されていたと考えられる。
この触によって、8月22日午前10時頃、乳母候補である伊佐津村の助四郎女房が藩役人へのお目見えを済ませ、乳母として召し抱えられた。ところが、その日の夜8時頃、「大内口様」が出産し、助四郎女房は翌23日昼までに急遽出仕しなければならなくなった。普段、倹約令で人々の服装や目上の者に対する振る舞いについて厳しく注意している藩役人も、この時ばかりは「突然のことで不都合もあるだろうが、そのままで良いので気ままに出仕しなさい」としており、その慌てぶりが感じられる。助四郎女房は12月末頃に暇が出されたが、その後は「古河武助様方へ御抱」となったようである。
「御用日記」ではもう1件、乳母募集に関する史料がある。12月朔日、「讃岐守様御乳持御入用」のため、「御城下近キ村方之者相除」いて「乳沢山ニ有之実体成者」が募集された。この時は、取廻しなどが不調法でもよいとしており、先に見た「大内口様」の出産における乳母の募集と合わせて、当時の田辺藩士の乳児養育の実態がわかる。
参考文献
国史大辞典 ジャパンナレッジ版 https://japanknowledge.com/library/(2023年3月1日最終閲覧)
日本大百科全書 ジャパンナレッジ版 https://japanknowledge.com/library/(2023年3月1日最終閲覧)
舞鶴市史編さん委員会『舞鶴市史・通史編(上)』舞鶴市役所、1993年、783-798頁。
出典「寛政五年伊佐津村御用日記」
大内口様ニ来月御産月ニ付御乳持壱人御尋ニ候、尤給銀三百拾目ニ弐人半扶持被下置候積ニ候間、早々聞立有次第致案内候様被仰出候、最早日間も無之候間、当月中ニ御目見江為済置申度候、且又品ニゟてハ少々増給も出候間、村方聞合有無之義御申出可被成候、已上
一先達而被申出候、乳持今四ツ時ニ御見目致候様被仰出候間、役人召連罷出可被成候様被仰出候、已
八月廿二日
右之通り御目見相済御奉公ニあり付申候
八月廿二日
助四郎女房
昨日者御乳持御目見相済申候、然ル処夜前五ツ時御出産有之候、右ニ付乳母今日昼時迄ニ罷出候様被仰出候間、其段御申付可被成候、早速之儀候故何角不都合ニ可有之候得共、其身侭ニ而不苦候間着侭ニ而御差出可被成り候、已上
八月廿三日
一讃岐守様御乳持御入用被仰付候、御城下近キ村方之者相除ケ候様被仰付候、乳沢山ニ有之実体成者御望ニ候、取廻シ等不調法ニ而も其段御構ハ無之候、早々御聞立有無之儀御案内御申出可被有候
十二月朔日
其村方ニ
大内口様江御乳持ニ上り居申候者有之御暇出候様ニ及承候、弥御暇出申候ハ丶古河武助様方へ御抱被成度候間、其段被申聞罷出候様御取斗頼入存候、以上
十二月廿六日
岡田伝右衛門様ゟ