困っているお年寄いませんか?~6代藩主牧野宣成の福祉政策~

 「鰥寡孤独(かんかこどく)」という言葉をご存知だろうか。これは、簡単に言えば「妻のない夫・夫のない妻・親のない子・老いて子のない人」を指し、古代律令国家においては貧窮老疾で自在不能な者と共に、近親がいなければ坊里が養うべきものとされ、しばしば国家によって食料品や衣料品などが支給されていた。国家という公的な機関によって困窮者に対する支援が行われていたという点で、現代の社会福祉に通ずる概念であると言えるだろう。

 さて、寛政の改革において老中松平定信(1759-1829)のブレーンとして幕政に参与していた田辺藩6代藩主牧野宣成(1765-1811)も、徳治主義的藩政を展開した人物として知られる。天明年中には城内三ノ丸に藩校「明倫斎」(後の明倫館)を開設し、藩士子弟の教育を振興した他、天明5年(1785)・7年、寛政元年(1789)・2年・5年・12年、享和2年(1802)には藩内の孝子節婦を顕彰している。
 また、寛政5年4月19日には80~87歳の百姓・町人に鳥目500文、88歳以上の者には鳥目1貫文を賜与すると共に、同年1月24日に「老人七十余り養者無之難渋ニ及候者申上出候」、4月24日に「七十以上独居之者、村々致吟味早々申出候」と達し、70歳以上の老人で身寄りのない者や困窮している者がいないか村々で調べるように、としている(「寛政五年伊佐津村御用日記」)。
 村々から届け出を受けた宣成が具体的にどのような対処を行ったのかは明らかでないが、身寄りのない老人を村々で世話させるための前段階とする意図があったのだろうか。ともあれ、先程あげた「鰥寡孤独」のうち、「独」にあたる老人たちに対し、宣成が様々な「福祉政策」を実施していたことがわかる。

参考文献
舞鶴市史編さん委員会『舞鶴市史・年表編』舞鶴市役所、1994年。
舞鶴市史編さん委員会『舞鶴市史・通史編(上)』舞鶴市役所、1993年、720-727頁。

出典「寛政5年伊佐津村御用日記」
一思召ニ付、老人七十余り養者無之難渋ニ及候者申上出候様御尋有之候
  同年正月廿四日ニ御触廻り候

一七十以上独居之者、村々銭吟味早々申出候様ニ被仰付候間、主旨相心得、右江御申出可被成候、以
  四月廿四日

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