舞鶴の山城120 荒張城

あらはりじょう

・舞鶴市字岡田由里小字荒張他           
・遺構---曲輪、堀切 ・占地---山頂
・標高---155m ・比高---150m ・遺跡地図番号---17

 この城は国道175号線から岡田川を500m程遡った右手の山頂に位置する。丹後半島方面からの南北の道が通過する交通の要衝である。周囲の山より高く展望が良好であるが、岩盤のため人工的加工度が低い。曲輪の北東と南東尾根を掘切で遮断しているが、曲輪と堀切間の距離が20~30mあり、構築年代が早いと推測される。西側には神社が祀られているため、近世の加工により地形が変化している。北西には二段の曲輪があり、西尾根の防禦もかねている。周辺の城郭遺構から考察して、16世紀後半には廃城となっていた可能性がある。

 1337(建武4)年9月4日、北朝足利直義旗下の吉川彦次郎経久が丹後国岡田庄荒針城大手を攻め、敵の首ひとつを討ちとったとの軍忠状が残る(吉川家文書)。また「南山巡狩録」には1338(暦応元)年4月27日に丹後の北党(北朝方)神代(かみしろ)兼治が荒針城を陥れたとの記事がみえる。これらのことから、南朝方の勢力の拠点であったことが分かる。

【吉川家文書】
 吉川経久軍忠状
  吉川彦次郎経久申す
右、
今月四日丹後国岡田庄荒針城大手に馳せ向かい
種々合戦致し
頸一つ分捕り仕りおわんぬ
その次第長門四郎・佐野弥四郎等
同所合戦の間
所見に及び候なり
よって御実検加えられ候の上は
早く後証のため
御判下し賜うべく候
この旨をもって御披露あるべく候
           恐惶謹言
 建武四年九月十日 藤原経久状
進上す 御奉行所
「承りおわんぬ (小俣来全)花押」

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