舞鶴の山城116 久田美城

くたみじょう

・舞鶴市字久田美小字下地他
・遺構---曲輪、堀切、竪堀、土塁、虎口 ・占地---山頂
・標高---70m ・比高---65m ・遺跡地図番号---122

 この城は舞鶴市立岡田下小学校の裏山の山頂にあり、由良川と久田美川とで三方を囲まれている。久田美の集落は、城館の南方の久田美川沿いに展開する。遺構は南西方向の尾根を堀切で遮断し、曲輪側に幅の広い土塁を敷設している。主郭は南北40m東西20m以上の規模で、主郭の北側にも広い曲輪があり、その他にも主郭の周囲に帯状の曲輪が巡っている。また、西側には三段の小規模な曲輪が広がる。

 城主については、「嶽家文書」などは真下源五兵衛としている。久田美には真下姓が多いが、「郷土誌岡田下」は、真下津民部大輔が祖先といい、ここに居城して天正年間に没したとしている。一方、久田美の土穴(まみあな)に白屋民部という者が築城していたという伝説も記しているが、こちらは水間村の合戦で活躍した若狭の白井民部丞光胤との関係も検討しなければならない。

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