まるたひがしじょう
・舞鶴市字丸田小字椎ヶ鼻他
・遺構---曲輪、堀切 ・占地---山頂
・標高----40m ・比高---35m ・遺跡地図番号---82
この城は、丸田地区の由良川に向けて突き出した尾根の先端に位置しており、河川交通を管理するには適した立地にある。尾根を堀切で遮断し、その先に長さ約80mの城域を確保している。曲輪の削平が良好なので、陣城のような一時的な城とは考えられず、中山城を中心とした城館のネットワークの中で発展したものであろう。
「京都府の地名」は、天正年間に但馬竹田城主の子孫鹿田多左衛門が戦いに敗れて丸田に来
住し、鼻山頂に居を構えたという伝承を紹介している。
【虎口には戸はあったか(「築城記」より)】
「築城記」では、城の入り口である虎口は木戸、つまり扉を設けることになっている。
「かい有る木を十六角ばかりに削り候。閂(かんぬき)をして内よりさす。横に木を渡すなり。しおり内へ明けるなり。片開きは左へ開くなり。」しっかりした木をかんぬきに使って扉の内側に横に渡しなさい。粗末な開き扉の場合は内側に開くようにしなさい。片開きの場合は左に開くようにしなさいとしている。攻め込まれた場合、相手の右手側の動きを少しでも封じようとする工夫だ。(ひ)