舞鶴の山城92 油江小谷城

ゆごこだにじょう

・舞鶴市字油江小字小谷他
・遺構---曲輪、堀切、竪堀、畝状空掘群 ・占地---尾根
・標高---60m ・比高---55m ・遺跡地図番号---42

 油江の集落は由良川河口の右岸に位置し、中世は繁栄した由良湊の一部で、由良川河口の水運や漁業に関係した村落であったと考えられる。城館は由良川右岸の尾根に位置する。東には標高300~400mの山々が連なるため、急斜面となり、城域は50m程の小規模なものである。東の鞍部には堀切があり、南北の斜面には畝状空掘群が敷設されている。単郭であるが南西には切岸の造成により土砂が堆積し、緩斜面となって曲輪のようになっている。北西の尾根上の道が集落へつながる。この部分にも竪堀が敷設されている。

城主に関する記録や伝承はない。


【山城日記7】
 由良城は国民宿舎丹後由良荘の上にあります。道を間違えて今日はついてないかな?という感じでしたが、下りるつもりで行った尾根にありました。由良は大浦と同じようになにかあったらすぐ海に逃げられるので、大きい城はいらないのではないかと予想していたのですが、それより、由良の地形そのものに大発見がありました。現在の山と村の間は古代は海で久美浜のように由良川に向ってのびる砂嘴の上に村ができたのではないだろうかということです。石浦のあたりの小字が川尻、駅のあたりは深田や池端できっと沼だっただろうということです。地元でも今の村は海だったといわれていたらしく、三庄太夫の首切り松の下のほうに船着場のあとではないかというところがあるそうです。まさに灯台もと暗しでした。そうすると、湾の一番奥(今では村のはずれ)に金毘羅神社や式内社の奈具神社が鎮座することがわかります。砂嘴は何百年単位で簡単にできるみたいですが、まだまだ想像の段階ですね。むかし村が海だったという絵図でもでてこないかしら・・・。(こ)
  平成18.12.26

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