舞鶴の山城72 城屋城

じょうやじょう

・舞鶴市字城屋小字大谷
・遺構---曲輪、堀切、竪堀、土塁
・占地--尾根 ・標高---100m ・比高---65m
・遺跡地図番号---208

 この城は城屋集落永福寺の裏山にある。尾根上に長さ60m程の城域を確保し、階段状に曲輪を造成している。曲輪の西側は堀切で遮断し、東側は竪堀が一本構築してある。これほどの傾斜地に城館を構築する例は珍しい。

 城主について、「加佐郡誌」は、かつて佐武ケ嶽の坂根修理亮の子孫が池内の今田から来て城を作っていたが、まもなく帰農して坂根九郎左衛門及び片倉吉平などの諸氏に分かれたとしている。(今回の調査により、当城と城屋南城は遺跡地図番号208の南南東250mにあることが判明した。)

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