ひきつちじょう(別名 茶臼山城)
・舞鶴市字引土小字城ヶ腰他
・遺構---曲輪 ・占地---山頂
・標高---40m ・比高---35m ・遺跡地図番号---196
この城は笠水神社の西方の茶臼山と呼ばれる山頂に位置している。頂上から北方向に削平地が広がるが、竹藪のため削平地が変形しており正確な城館の範囲を確定できない。しかし、城地の付近には城ヶ腰、城ヶ鼻の小字名が残っている。
今回は、頂上部の東西二段だけの曲輪を図面化した。頂上には忠魂碑、下の段には小男稲荷神社があり、尾根の北山麓は墓地のため破壊されつつある。「日本城郭体系」などではこの西方60mの丘陵に奥城があるとしているが、これは旧日本軍による造作であり、山城の遺構ではないと考える。
城主としては「嶽家文書」などは長岡小太郎とし、近世の地誌類では長江小太夫または田辺小太夫としている。「丹哥府志」などは、小太夫の名は季武で、大内庄にいたため大内季武ともいい、一色に属して足利尊氏の九州落ちに従ったと記しているがもとより確証はない。