うえやすじょう
・舞鶴市字上安小字城山他
・遺構---曲輪、堀切、堅掘、土塁 ・占地---山頂
・標高---110m ・比高---95m ・遺跡地図番号---154
この城は、五老岳の南方に位置する。山頂に南北70m東西20m程の曲輪があり、四つの尾根筋はすべて二重の堀切で遮断するという厳重な防禦である。曲輪の南側には低土塁による区切りがあり、その先は少し低くなるよう段差が設けてある。
「嶽家文書」では上安安久城主は岡野瑞見とされている。岡野允氏が紹介する伝承によると、この城の主は岡野権之頭で、細川氏に滅ぼされたとも降伏したともいわれ、その子孫は江戸時代の大庄屋の岡野五郎左衛門家と庄屋の岡野嘉兵衛家であるとされる。
【山の木は切るのか(「築城記」より)】
今は山を生活のために使わなくなったので、山には雑木が生い茂って曲輪からは周りの景色が見えにくい。また、周囲からみても雑木に覆われて曲輪はほとんど見えない。かつては山の利用が多かったので今よりも木々は少なかっただろうが、戦国時代の山城ではどうだったのだろうか。
「築城記」では、城の外側には木を植えてはならず、土居の内側には木を植えるように命じている。城から敵の動きを見えやすくし、敵からは城内の様子をわかりにくくするためだろう。たしかに今のような山の状態では、敵が攻めてきていても木立が邪魔になってほとんど見えない。やはり今よりはかなり木々は少なかっただろう。(ひ)