舞鶴の山城50 奥母城

おくぼじょう

・舞鶴市字余部上小字奥母他
・遺構---曲輪 ・占地---山頂 ・標高---80m ・比高---70m
・遺跡地図番号---378

 この城は、余部上の西に位置する。城域は約40mと小規模で、堀切もなく削平の状態も悪い。陣城としての要素が強い城館である。城主に関する記録や伝承はない。


【山城日記3】
 和田城へ行きました。いってみると、小さいながらもコンパクトにまとまって山城見学会をするのにぴったりです。きのこも量も種類も豊富です。(この情報を聞きつけて、山城見学会より先にきのこ教室が開かれました。)位置的にはいかにも蛇島や長浜と連携して、この入江を舟溜まりとした水陸両用の城という感じです。城の下には古墳があり、先日発掘された三角古墳も近くにあります。古代から舞鶴湾の要なのです。もともと長江といわれたこの地を和田と呼ぶのは若狭和田と関係があるという話もうかがいました。「高浜一班」という書物には若狭勢は丹後勢に攻められて長江から長浜へ退却し、さらに白杉と蛇島へ退いたというはなしがのっており、西地区に今も続く土井家の祖、白杉の土井淨安や高倉神社に土地を寄進した細川家の家臣岡本主馬之助との関連を示唆しています。(こ)
  平成16.9.8

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