かわらじょう
・舞鶴市字鹿原下西ノ谷他
・遺構---曲輪、堀切 ・占地---尾根
・標高--135m ・比高--100m
・遺跡地図番号---396
この城は、紅葉の名所金剛院に近い鹿原集落の東背後に位置する。遺構のある尾根は、北面と南面が急斜面となっており、東と西を堀切で遮断し、70m程の城域を確保している。中央部の削平状態は良好であるが、南斜面にある二段の帯状遺構は、削平状態が悪く傾斜した部分が見られる。
城主については、「丹後国加佐郡寺社町在旧起」は鹿原村の条に城ケ嶽を示し、「これは小松内大臣重盛、美福門院当山(金剛院)御立の時奉行としてここにあり」としている。「丹後旧語集」でも城ケ尾古城として「小松殿嫡子三位中将惟盛」居住としているが、これらを城主とすることは時代的に無理があるのではなかろうか。岡野允氏は、竹内坊(ぼん)という山伏が来て金剛院の一部を横領して城山に拠ったという古老の伝承をあげている。