おぐらうばがだにじょう
・舞鶴市字小倉小字姥ヶ谷他
・遺構---曲輪、堀切、竪掘、畝状空堀群 ・占地---尾根
・標高---110m ・比高---100m ・遺跡地図番号---391
この城は、田中町の南方の尾根上に位置し、若狭との国境である吉坂方面への展望がよい。曲輪の東側は削平状態がよく、北に伸びた尾根には堀切がある。東側の斜面には畝状空堀群が敷設されるが、西側の削平はあまい。陣城として使われたと考えられる。東の若狭方面からの敵に対して構築されたものであろう。
「丹後国加佐郡寺社町在旧起」の記述にもとづけば1554(天文23)年9月に粟屋丹後守が若狭武田氏に対して挙兵したときに構築された可能性が高い。その他の伝承や記録はない。