「凶年困窮之一件并施行米一切之事」翻刻

(表紙)

「凶年困窮之一件
   并施行米一切之事」

 時天明三癸卯年、諸国凶年之風聞ニ而、諸作不作ニ而
 米高直ニ候、其上隣国海猟無之、別而猟師抔困窮之
 趣東西吉原町難儀人多、卯冬ゟ辰之春江至候而
 数多町方江罷出昼夜手之内乞申候、町方も右ニ順し
 下々難渋之趣、翌辰春次第ニ米高直、若州邊
 飯米払底之様子風聞候、宮津福知山辰正二月ゟ
 於町方難儀人江御城主寺院并町方相応之者共ゟ
 粥或ハ米ニ而施行有之由粗及承、当所も難渋とハ
 乍申当 御城主より若州表御廻米之内弐千
 七八百表斗御積戻シホ被 仰付候故、差当り格別之
 様子ニも相見江不申候得共、辰三四月ニ至町方端々ニ者
 難儀人多ク、喰事ニ致候物も無之趣ニ而、海艸なと取候而
 喰物ニいたし候、依之人面色合悪敷様子身請候ニ付、当
 辰四月行司より年寄中江及相談、奥ニ書記仕候趣ニ候
卯十月
一去ル寅年ゟ米払底次第ニ高直ニ相成一統致難儀候
 依之米買置候者を彼是難説之風聞ニ候、折節入舩も
 無之米屋向ニも店舩ニ蓋いたし候而、小売之者并表米
 買候者甚難渋之趣候故、仲三人江申付、町方有米高
 致吟味候得共、地向商人ニ者無之、他所者買置米有之段
 申ニ付、買入可申段及相談、町中飯米ニ致配分候、其後
 入舩も無之近年来拝借仕候盆前米当年 御上ニも
 御払底之由ニ而、漸百表被仰付候得共、行届不申、色々
 願候得共出不申折節、六拾表売米御座候而買取申
 〆百六拾表致配分候、右之訳ケニ付、米取扱申者之内
 不取斗之義も有之歟、彼是と難説相止ミ不申、風与
 変儀ホも可申出歟と不安心候、殊ニ 嶺松院殿様
 御中陰之内ニも御座候故、小頭方江内咄申上候所、尤之義
 早速申上候而 御触書を以可被仰付との事ニ候、尚又沖口も
 初御納所迄御免被仰付候
 右之趣ニ候所、十月頃俄ニ古米沢山ニ相成候ニ付、仲共江不□(審カ)
 之儀申付候所、御蔵鼡喰、表直シ百六拾表御座候而御拂
 被 仰付候段申ニ付、左様之義ニ候ハヽ惣年寄月行司江申出
 町々江申聞可申所、役筋不行届相済不申ニ付、小頭方江
 申上候所、早速月行司仲共三人御呼出御呵り被仰付候
 依之仲共指扣相伺候得共、此度之義者先御免被成候間
 重而之義ニ急度相心得候様被仰付候
  御触書 
 近来御米買候者共色々取沙汰不宜候風聞有之ニ付
 以来之所を遠慮ニ存、専御米取捌候義も憚候趣、内々
 相聞候、右雑説を申触候事 御上を軽メ風俗を乱り人気を
 動不敬之至甚不届千万ニ候、畢竟他所より申出候事ニ而者
 無之義、右風聞を企候者ハ是非御城下ニ可有之間、向々申合
 其者共を急度相糺可申出、尤惣躰之難儀差支ニ相成候
 訳ケ有之ニ付申出候儀ニ候ハヽ、其段取次早速可申出候、此節ゟ
 段々御米買請度相望候者も可有之候得共、右之通之取沙汰
 を憚候趣相聞江、御米捌方差支ニ相成候故、御拂米他所江
 出候様ニ相成候得者、来年ニ至町方飯米ホ願出候共御渡
 難被遣、尤時節も不至候内沖之口入舩ホ御免之義願候共
 御取上ヶ難相成候、左候得者則町方米拂底ニ相成却而
 可及難義事目前ニ候、依之此節ゟ買請致用意候義
 さもあるへき事ニ候、是ホ之訳合をも不存、并彼是致難説候段
 甚不届之至候、且又御米調候者共、右之風聞ニ而以来之
 遠慮ニ者決而不及候間、随分無憚取捌可致工面候、万一其
 儀ニあた恨を含候もの於有之ハ、急度曲事可被仰付候
 尤御米調候者共、外々之難義ニ及候様之義堅く無之様
 取捌可申候、前文申達候通、惣躰之難義差支ニ相成候
 訳有之候ハヽ、其段可申出候事
 右之通被 仰付候而年寄宅ニ而寄合申付候
一卯冬ゟ正月ニ至東西吉原町江内々ニ而町方ゟ夜分
 米或ハ粥抔焼為持遣候事
一辰正月例年之万歳参候得共、右之様子故町方徘徊
 之儀差留メ申候、尤御城内御奉公人方寺院方ハ差構
 無之相廻り申候
一正月廿日過町寺院方より御申合、東西吉原町へ米八俵
 被遣候事
一正月下旬ゟ米大豆共出津御差留メ被仰付候事
 此義者内々年寄中ゟ申上候事故、御留メ被仰付候
一正月末、右ニ付惣年寄山雄氏被願上候而東西吉原町江
 銀札壱貫五百目七ヶ年賦利なし拝借被仰付、困窮人江割符仕候
一同砌町々難渋人江居町之相應之者共ゟ米五升壱斗弐斗
 或ハ小米様之物遣候而、当分畜育遣候事
一同竹屋町中与して十日余り毎夜竹屋町中程明家ニ而
 施行之粥出し申候事 東西吉原町困窮人、町方至而困窮人貰ニ参候由
一正月末、在方難儀人五七十人ツヽ有路村大庄屋迄罷出、願事
 有之由ニ而御役所ゟ郡方御手代方并ニ御道臣方御取鎮メニ
 御出候、其外岡田由里組分とも相應之百姓四五軒江も
 夜分相廻り、少々之米貰候由ニ候
一右之趣ニ付町方江御触書出申候 町年寄江
 穀物入津御免出津弥停止被仰付候、且米雑穀迠も
 他所より買求候手段候ハヽ、随分手筋を以無遠慮歩持ニ而も
 相求参候様申含、身上相應ニ取廻候者申合、末々之者共
 為相働買取可申候、賃銭遣候得者、桛ニ茂可相成候
 右相調候品代料差支も有之候ハヽ可申出候、買寄候
 品々者御蔵ニ差置可遣候、附り、祝儀事法事ホ其
 外心寄り罷有候家作り抔候ハヽ、此時節柄ニ無貧着
 勝手次第可申付候、末々桛之為ニも可相成義ニ候間
 随分無遠慮可申付候
一閏正月中旬ゟ町方江難儀人多致徘徊候間
 火之元夜番気を付候様被 仰付候事
一二月上旬山伏中被申出候 吉原町并町方難義人ニ
 於延寿院月ニ六度施行之粥給させ申度候得共
 自力ニ難叶候間、町方志之衆中江托鉢ニ相廻り申
 度段被申出候ニ付、小寄ニ而申付候、二ヶ月斗被致候
一閏正月中旬被仰出候米大豆之義、先達而出津
 御差留被 仰付候、尚又其外胡麻種雑穀たりとも
 出津御留メ被仰付候事
一辰年右之困窮ニ付町在共宗門御改之節
 喰座一切御賄 御上ゟ被仰付候、則舟登屋仙左衛門江
 仕出し被仰付候、委事宗門賄帳ニ有
一四月上旬より年寄中相談之上町方困窮人江
 施行米遣候ニ付 御役所江茂御伺申上、則左之通
一此度町方難儀人江救として致施行度ニ付、町々ニ而
 身分相應之人々より米五升壱斗壱表弐表ツヽ
 被致出米候故、米高相考以割合難儀人壱人江
 少々ツヽ米可遣候、尤相望候者江町々役人ゟ切手
 遣シ可申候間、暮六ッ時より会所前江可罷出候、諸士方
 近所ニ候間、高聲不埒之義無之様実躰ニ可申談候
一施行米之義者餅米ニ而可遣間、其旨相心得可申候
一格別之難儀人斗家内人別遣候間、大躰相凌候
 者者可致無用候、町々役人ゟ見斗ひを以可遣之候
一出米いたし候人々志之義申請候者共、時節柄
 之義ニ候間、別而厚恩ニ可存候
一会所門口ゟ職人町口江壱人も出申間鋪候、貰候者職人町
 路地口江出、本町平野屋町竹屋町口江通り、追手口江一人も出申間敷候
一此砌餅米沢山下直ニ候故、施行米ニ餅米石ニ付札九拾五匁ニ而
町々取立申、則左之通
一本町高六俵内   八斗五升 丹波屋嘉右衛門 三斗 嶋屋次郎兵衛
           七斗   壺屋六左衛門  五升 橋本徳安
           四斗   ミ之屋次兵衛  壱斗 組頭両人町内四五人ゟ
一魚屋町高三表内   四斗   苧屋平兵衛   壱斗弐升桶屋孫八 壱斗 大屋長左衛門
          三斗五升 川口屋八左衛門 九升 わら屋忠兵衛 七升 舟と屋仙左衛門
          壱斗三升 舟と屋孫左衛門 其外四五人ゟ三四升ツヽ

一丹波町高弐表内   壱斗五升 とり屋吉郎兵衛 壱斗五升 藤助・傳兵衛 壱斗五升                              
          壱斗ツヽ みなと屋孫右衛門 夷屋喜平次 二升ツヽ五人ゟ         
               小にう屋太兵衛 藤屋利兵衛

一平野屋町高三表内  弐斗 小西屋左衛門   くミ屋太左衛門
          弐斗 糀屋忠兵衛   壱斗ツヽ かち次右衛門・白藤屋市右衛門・宮津屋徳平
          四斗 八人ゟ出ス

一竹屋町高拾表内   壱石弐斗 壺屋与一左衛門 三斗 とり屋吉左衛門
          壱斗五升 宮津屋藤九郎 壱斗 丹波屋甚兵衛
          三斗   同 忠兵衛    三斗 塩屋伊右衛門  其外
          三斗   木屋平左衛門  弐斗 塩屋新左衛門   五升ツヽ十四人
          三斗    同 太郎左衛門  壱斗五升 龍野屋吉左衛門  都合
一職人町分銀札五匁出札
一寺内町高六表    町内中与申参候、名前書付不参候
一新町高弐表内    四斗 八文字屋吉左衛門
           四斗 丹波屋七郎右衛門 紙屋藤次郎三人ゟ
             大和屋七兵衛
一紺屋町高壱表内  弐斗 糀屋仙左衛門 五升弐人ゟ
      壱斗  弐斗五升 きく屋伊左衛門
               同 忠左衛門
一堀上町高弐斗 松屋嘉右衛門ゟ 外ニ銀札四匁五分大坂屋ゟ
                  志之由ニ而出札有之候
一西町高弐斗内    壱斗 沢屋甚兵衛
          壱斗 五人ゟ
一引土新町壱斗    山城屋与兵衛ゟ
一引土町三斗内一斗ツヽ 但馬屋儀兵衛
            同 太平次
森屋茂八
一大内町高壱表壱斗内  四斗 くみ屋宗左衛門
           壱斗 瓦屋忠左衛門
              こん屋与平次
 都合三拾六表
 右四月十三日夕より初、同晦日夕迄日数十八日遣候
 橋西之町ゟ組頭壱人ニ世話人壱人ツヽ
 橋東之町ゟ組頭壱人ニ世話人壱人ツヽ
 〆四人罷出相勤申候 当番町年寄見廻申候
 毎晩七つ半時ゟ罷出、斗立升詰表廻致改持参候
 切手壱枚ニ小升ニ匕ひ上ヶ、壱合三四夕ニ当ル
    但し壱合升也
一切手拵高千四百枚 但シ二色ニ仕立一夕代りニ引かへ相渡ス
 右切手貰候町々左之通
 本町   弐拾八枚       魚屋町  四拾九枚
 丹波町  四拾四枚       平野屋町 弐拾七枚
 竹屋町  拾枚         寺内町  拾弐枚
 新町   廿五枚        紺屋町  廿壱枚
 堀上町  三拾壱枚       西町   五拾四枚
 引土新町 五拾三枚       朝代町  三拾九枚
 引土町  六枚         大内町  六拾枚
 西吉原町 七拾五枚       東吉原町 八拾枚
 合六百拾四枚  毎夕蔵米二表程ツヽ大方入申候
右入用調物之覚
一小升弐ツ 代弐分六文     一莚三枚 代八分五文
一箕 壱枚 代七分       一宗門紙四帳代四匁
一燈油七合 代三匁八厘     一とふとん 代壱分壱り
土器つけ木     
〆九匁 右代銀札 米代銀札過米何角ニ而仕払
一切相済申候、委指引銀之事別紙ニ有并引上ヶ
切手相添置申候
一卯正月ゟ四月頃迄七拾四五匁 通用残銀壱匁ニ百六文位相応也
一同六月中旬ゟ八九月七拾七八匁ゟ八拾弐匁
一同十月十五日新米初直段七拾八匁
一同二月三日沖口御免他所米七拾匁ゟ六拾七八匁
 同六月ゟ八十匁七拾八九匁迄
一辰正月御蔵米八拾五匁閏正月九拾匁
一同三月九拾六七八匁 一四月百匁ゟ弐三匁
一同五月百六匁ゟ百三匁
一辰正月廿六日沖口御免并ニ米大豆出津御留メ
一越後米入船無之漸四月末ゟ五六艘参候、其内
 三艘直入初舩札百四匁五分、二、百匁五分、三ツメ百三匁
一辰六月下旬ニ至、御蔵米弐百拾弐匁ニ相成候
一五月廿三日御奉行所速水貴氏御座敷江惣年寄
 山雄孫右衛門・月行司・堀上町年寄嘉左衛門・本町年寄嘉右衛門
 肝煎惣代西町甚兵衛五人御召被成候而、両御奉行所并ニ
 両小頭方御例座ニ而被 仰出候御口上之趣
 去年来ゟ当春ニ至別而年柄悪敷町方難儀人
 多、非人体之者有之ニ付、年寄肝煎申合於会所
 数日致施行候段達 御聴奇特心妙ニ被為思召候
 右 御称美之段向々不洩様ニ申達候様被仰付候
 尚又町々致出米候者共江右之段申達候様被仰出候
一右五人之内本町嘉右衛門西町甚兵衛両人引キ申、竹屋町年寄忠兵衛江
 右之趣ニ候所、町内ニ而施行仕候段同様ニ被仰付候
一町々ニ而身分相応之者共日々施行いたし候
 人々江茂奇特之段申達候様ニ被仰付候、悉ク
 人別不相知候間、尚又吟味之上可申達候
 右ニ付五人之者同道ニ而
 御家老中様両御奉行所小頭方御礼
 相廻り申候、直ニ於会所町々年寄肝煎中江
右之趣申達町々出米之者共年寄宅ニ而
 申達候

 天明四年甲辰四月行司
本町年寄
嘉右衛門書記

原典:糸井文庫33-13、舞鶴市郷土資料館所蔵

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