けしだにじょう
・舞鶴市字行永小字芥子谷他
・遺構----曲輪 ・占地----尾根
・標高---80m ・比高---60m ・遺跡地図番号----439
この城は行永の龍勝寺の裏山に位置し、芥子谷団地の北方にあたる。現在、遺構は墓地の造成により破壊されており、神社が祀られている土塁囲み部分は破壊時に造られたもので、城館遺構とは関係ない。この為、城館の規模は全く不明である。
地元ではこの城を1517(永正14)年に延永氏が立て籠もって敗れた庫橋(倉橋)城であると信じる人が多い。これは、山麓の龍勝寺が丹後守護一色氏と関わりがあるためである。寺には一色詮範(あきのり)とされる木像がある。
近世地誌の中には、行永村の四つの古城のひとつとして「けし谷」をあげるものがあるが城主は不詳としている。また他の近世地誌には行永村龍勝寺の寺山の城に細川藤孝の家臣の上羽(或いは黒川)丹波又は一色太郎が居城したとされている。