舞鶴の山城20 市場城

いちばじょう

・舞鶴市字市場小字市場他
・遺構----曲輪 ・占地-----山頂
・標高----140m ・比高-----135m ・遺跡地図番号--386

 この城は、市場の市姫神社の裏山にあり、高屋城とは志楽川をはさんで相対する城館である。小曲輪を階段状に造成した遺構である。市場城は三つの峰で構成され、本城のほかに、舞鶴湾方向にあたる北尾根と、若狭方向にあたる東尾根にそれぞれ削平地が残っている。

 城主については、「丹後旧事記」には「設楽五郎左衛門尉、加佐郡設楽庄市場の城主なり」「尊氏より本領をたまい一色範光以後は一色の陣代をつとめる」「逸見八郎、後駿河守と号す。初めは若州高浜の城主となりけるが、設楽と戦い勝ちて市場の城に移り、一色の旗下となり・・・・設楽市場の城主となる」などとしている。

 その他の近世地誌類でも逸見駿河守としている。岡野允氏は逸見氏が一色の旗下というのは論外としながら、1517(永正14)年に倉橋城で延永氏が越前・若狭連合に敗れて以来、市場城は高浜城主逸見駿河守の出城であったのではないかと類推している。

 以上のことから若狭武田氏と粟屋氏の合戦が志楽谷で展開された時、高屋城と相対する陣城として、若狭高浜の逸見氏が構築したと考えられる。

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