舞鶴の山城19 高屋城

たかやじょう(別名 コットイ﨑城)

・舞鶴市字泉源寺小字高屋他
・遺構---曲輪 ・占地---山頂    
・標高---120m ・比高---115m ・遺跡地図番号---360

 この城は志楽川の河口にあり。舞鶴市立東図書館から北方に見える。中世は、西、南東は海岸に面しており、海城としての機能を有していたと思われる。船着場は北西部の小字地中にあったといわれる。遺構は北尾根の標高60mに位置し、四段の削平地がある。そこから80m程南に長さ100m余りの削平地が広がる。さらに南西にある標高110mの場所は自然地形に近いが、削平された部分も見られる。

 この城は陣城に使われたものと考えられる。「梅垣西浦文書」の「粟屋状」で、1544(天文23)年9月に粟屋久慶が、若狭武田氏に対して陣をしいたとしている「特ヶ崎」がこの高屋城のことであろう。その後、粟屋久慶は1555(天文24)年1月に若狭武田氏に敗れたとされる。

 城主に関しては、「竹原家文書」などには粟屋丹後守とある。「丹後国加佐郡寺社町在旧起」は粟屋氏の他に、「古、一色左京家来大嶋但馬守」ともしている。「信長公御代 矢野藤平」とする近世地誌もある。

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