ふくいじょう
・舞鶴市字上福井小字西垣他
・遺構---曲輪、堀切、竪堀、畝状空堀群 ・占地---山頂
・標高---100m ・比高---95m ・遺跡地図番号---157
この城は上福井集落の北方の山頂にある。城館の西は大船峠、東は座尾峠の入り口に面しており、中・近世宮津街道の要衝である。山頂部に長さ80m程度の曲輪があり、そこから南東に延びる尾根上にも長さ40m程度の曲輪が造成されている。北側斜面には畝状空堀群が敷設され、曲輪の北側の塁線には長さ3mほどのクランク状の折があり、敵への横矢がけが可能となっている。しかし、張り出し部分と竪掘の配置が悪く、完全な横矢がけの構造ではない。また、畝状空堀群の上部通路があり畝状空掘群への通行が可能となっている。しかし、曲輪は削平状態が悪い。
城主は諸記録一致して福井藤吉あるいは藤吉郎としている。「一色軍記」など一部の史料は、建武の頃に足利尊氏とともに九州に下った者の一人としているが、傍証はない。細川家の「綿考輯録」には1579(天正7)年の細川藤孝の攻撃に際し、一色方の福井藤吉が降参したと伝えている。