舞鶴の山城15 田中支城

たなかしじょう

・舞鶴市字田中小字安井ノ奥他
・遺構----曲輪、堀切、土塁、虎口 ・占地----尾根
・標高---90m ・比高---75m ・遺跡地図番号---355

 この城は志楽谷の田中集落の背後にあたり、威光山から南へ派生した尾根上に位置する。尾根を堀切で遮断しその先に城館を配置しているが、遺構の広さに対して少し手狭な地形である。
東西50m南北15m程の主郭があり、南側の傾斜地に沿って四段の曲輪を造成し、その先は堀切と竪堀で遮断している。西斜面に館への道らしき痕跡を残す。

 山麓の田中集落に関係した城館であると考えるが、城主に関する記録はない。また、田中城との関係も不明である。


【山城日記2】
 4月30日(日)泉源寺大谷城・愛宕山城・金比羅城・トアミ山城に行きました。
 大谷城は、砲台跡で、とても図面のとれる状態ではありません。西側に堀切が残っていて山城であったことが確認できました。
 愛宕山は神社があって、山城の確証はありません。
 金比羅城はコンパクトにまとまった城です。道らしきものがあったので降りていくと、道はとぎれましたが途中に1587(天正15)年6月の銘のある家墓(中には五輪塔)と二基の宝篋印塔がありました。市場の村田氏の墓だそうです。村田氏にはこの一帯を村田山といい先祖は一色氏に仕えて若狭と戦った村田将監だという言い伝えがあるそうです。江戸時代の地誌「丹後国加佐郡寺社町在旧起」には村田山と姥ヶ谷で若狭勢を防いだとあります。小字「村田」「姥ヶ谷」は字田中にあり金比羅城より東側です。
 トアミ山は鉄道建設で削られた小さな城ですが、なんといっても麓の女の方(70代ぐらい)が急斜面をスタスタと登られたのには驚きました。わたしたちが、フーフーいって登っている山城も、中世の人たちにはわけもないことだったのかも知れませんね。(こ)
  平成18.5.4

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