余部上村の「作方年中行事」8月

 Twitter、#太郎左衛門のつぶやき、で記した農作業は、余部上村の「作方年中行事」(井上奥本家文書)を基にしている。太郎左衛門は、余部上村庄屋、文化10年(1813)7月に「作方年中行事」を藩に提出した。余部上村を中心に、西から久田美・青井・大山・成生・野原村の行事と比較し参考とする。また、旧暦なので約1ヶ月遅れの記事で調整した。

8月は稲刈がはじまり、年貢の収納が本格化している。


8月2日 今日は脇切、したき苅、綿の手入れがある。昨日は休日、村方でお互に礼をする日だった。野原・大山・成生では八朔といって、野原は朝粟餅を作るという。八朔は、その年に収穫した稲を知り合いなどに贈るものだそうだ。青井は2日に下女の出代りをするようだ。

8月4日 今日から7月に植えた蕎麦の中打をはじめる。こへ持、他にしだき刈、綿の手入れ、田畑の見廻りがある。青井では昨日から稗を刈り取り、6日から田の草や稗の見残り分を切るそうだ。

8月7日 彼岸の5、6日前には、ちさやけしを蒔く。また稲苅がはじまったので、稲を干すための稲木を立てる。稲苅になると、夕方は縄をない俵を作るが、この作業は、秋の稲扱仕舞の日まで続く。

8月8日 この時期、男は稲苅・稲木拵えが続く。女は黍・粟・稗のかち(脱穀)となる。
かちとは、一把づつ竹製の台へかち付け(たたき付け)て脱穀したから。稲は稲扱きだが、麦や黍などはかちとよぶ。

8月13日 長浜にある高倉八幡宮の祭礼で、今年は祭礼当番なので半日休日。当番ではないと休日にはしない。畑の手入れをするが、稲苅も続いている。男は牛で田を鋤いて排水をする。女はのらくを引いたり、牛の草を苅る。

8月16日 大山も15日が氏神祭礼で振物、野原も15日八幡宮へ振物、成生は28日氏神祭礼で振物だそうだ。近隣の祭りでは振物を奉納する場合が多い。

8月19日 昨日から、菜や大根の手入れ、女は年貢上納米の準備や牛の草苅、男は蕎麦のなかに麦を蒔いたり、そら豆を植えたりする。晩方から干した稲を入れ込む。
こちらでは稲苅が最盛期だが、青井では明日稲木を拵え、明後日から早稲の稲苅だそうだ。

8月22日 ずっと稲苅、稲木に干した稲の取り込みが続く。昨日から、男は多葉粉をかいて、そのあとに菜種を蒔き、女は綿取りを行っている。多葉粉も菜種・綿などお金になる作物だ。

8月26日 24日には、年貢の初納で、村役人・百姓は藩の蔵へ勤める。この後、収納日は、同じように百姓1人が蔵へ行く。稲苅、干稲の取り込みは続き、稲苅後の田鋤きや排水も順次行う。久田美では、初納の日、洗米を持参し氏神へ参り、神酒を庄屋所で頂戴するとのことだ。

8月28日 稲苅、干稲の取り込み、田鋤きや排水、上納準備、綿取は続く。
大川では、大川明神の祭で、近隣の地頭・小俣・久田美は休日となる。青井では、24日に半休日となり、大川参りや愛宕講を行うとのことだ。

8月30日 藩の蔵への収納、稲苅、干稲、田鋤、排水が続く。久田美では二九日弐番収納を行い、大川では二八日初納所という。これまでは、五月から数えて八〇日目に収納をはじめていたが未熟な青米があるので、文化五年に九〇日目となった。収納は、領内の東方が先で五日後から西方が納めると決まっている。

京都府立大学文化情報研究室・舞鶴地方史研究会「翻刻 作方年中行事・山論・献立・日露戦争」 京都府立大学文化遺産叢書16『舞鶴の地域連携と世代間交流 井上奥本家文書調査報告』160(1)-139(22)頁、2019

八月
朔日 休日、朝草苅、田畑見廻、夫ゟ村方互ニ礼いたし候
二日 男女共脇切、したき苅、又綿之しやうやく、田畑見廻り
三日 右同断
四日 こへ持、蕎麦中打、男女共しだきかり、或綿しやうやく、田畑見廻り
五日 右同断
六日 右同断
七日 右同断
一彼岸五、六日前に、ちさ蒔、けし蒔、且又稲苅、稲木拵、稲苅初候ヘハ、男夕なひ致縄俵拵、此儀ハ秋中稲扱仕舞之日迄、夕なひ致候
八日 男ハ稲苅、稲木拵、女きびかち、或ハ粟かち、稗かち、田畑見廻り
九日 右同断
十日 右同断
十一日 男女稲苅、男ハ牛ニ而田すき、水さかり致、女ハのらく引、或牛草かり、田畑共見廻り
十二日 右同断
十三日 半日休、高倉祭礼ニ付、但し当年祭礼当番故、当番ニハ無御座候得ハ、休日不仕候、半日、男女畑作之しやうやく
十四日 休日、高倉祭礼当年番故、笹おどり、ふり物掛申候、半日、男牛草苅、田畑見廻り
十五日 休日、男女共朝草苅、田畑見廻り
十六日 稲苅、菜種まき、こへ持、女ハはいまき、うわこゑおき、或ハ牛之草苅
一先達而苅候稲干候ヘハ入込置
十七日 男女共稲苅、菜種まき、こゑもち、女うわこゑ置、或牛之草苅、晩方に干稲入込
十八日 菜・大根しやうやく、女御上納米、又ハ牛之草苅、男ハ蕎麦之中に麦まき、或ハそら豆植、晩方に干稲入込
十九日 右同断
廿日 右同断
廿一日 男女共稲苅、或牛草苅、又ハ男ハ多葉粉かき、あとに菜種蒔、女ハ綿取、晩方に干稲入込
廿二日 右同断
廿三日 右同断、女御上納米致候
廿四日 初御納与仕、村役人并百姓御蔵へ相勤申候、半日稲苅、女牛之草苅、且又是ゟ未御収納日ニ而、百姓家并壱人ツつ御蔵江相勤申候
廿五日 男女共稲苅、こへ持、田畑見廻り、晩方に干稲入込
廿六日 田すき、水さかり致、或ハ稲苅、女ハ御上納米致、田畑見廻り、晩方に干稲入込
廿七日 右同断
廿八日 稲苅、田すき、水さかり致、或こへ持、女綿取、牛之草苅、又ハ御上納米いたし、田畑見廻り、晩方干稲入込
廿九日 御収納相勤申候、稲苅、すき、水さかり致、田畑見廻り候、女御上納米致、又牛草苅、干稲入込
晦日 稲苅、田すき、水さかり致、そら豆・ゑんど植、御上納米いたし、晩方に干稲入込、或牛草苅、田畑見廻り

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