京極高広の年表

西暦和暦出来事関連出典
1622元和8年壬戌3高知、本国居城において病にかかるにより、嫡男高広、看侍の暇たまわり帰国する この時、来国光の刀および馬を下される徳川実記
1622元和8年壬戌812高知没する のち遺領は嫡子高広が高7万8175石を相続し、庶子高三に高3万5000石、養子高通に高1万石が分与されて、ここに宮津藩・田辺藩・峰山藩が成立する上701 
1625寛永2年乙丑  宮津城の再構築ほぼ完了し、京極高広、田辺城より同城に入る(宮津越え)上715 
1656明暦2年丙申93高直、これより先、宮津城再築のため建造物を移築されて破損した田辺城を、幕府に願い出て再興せんとする この日、前宮津藩主京極高広、所領のことにつき高直を幕府へ訴える その主旨は、田辺は京極宗家(宮津藩主)が丹後国主として領地ゆえ、同城の再興は不当であるとする上716 
1656明暦2年丙申94高広の上訴を取り扱った幕府実力者井伊直孝・保科正之、高広・高直を出頭させて双方に和議を命じ、高直が田辺を領地すべしと申し渡す上716 

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