1611 | 慶長16年辛亥 | 3 | | 京極高三、父高知に連れられ京都二条城において、初めて徳川家康・秀忠へ謁する 時に5歳 | 上703 | |
1622 | 元和8年壬戌 | 8 | 12 | 高知没する のち遺領は嫡子高広が高7万8175石を相続し、庶子高三に高3万5000石、養子高通に高1万石が分与されて、ここに宮津藩・田辺藩・峰山藩が成立する | 上701 | |
1622 | 元和8年壬戌 | 8 | | 京極高三、父高知の死去により、加佐郡の内において高3万5000石の地を宛行われ、田辺藩主となる(写真19) | 上703 | |
1630 | 寛永7年庚午 | 7 | 13 | 高三、大原三郎左衛門へ河辺中村・同由里村の内において、山林・竹木・川などを除き合計高250石の地を宛行う | 上706 | |
1632 | 寛永9年壬申 | 2 | 7 | 高三、前将軍秀忠の遺物として銀300枚賜る | | 徳川実紀 |
1636 | 寛永13年丙子 | 1 | 8 | 高三、江戸城総郭営造において、神田橋~常盤橋間で7間、神田橋~一ツ橋間で15間の石垣普請手伝いを務める | 上703 | 徳川実紀 |
1636 | 寛永13年丙子 | 2 | 29 | 幕府、京極高三はじめ34大名を営中に召して、石塁修造の労を慰め、鷹のとった雁を給する | | 徳川実紀 |
1636 | 寛永13年丙子 | 10 | (カ) | 京極高直、父高三の死去(寛永13・9・13)により襲封、第二代田辺藩主となる | 上703 | |