京極高直の年表

西暦和暦出来事関連出典
1636寛永13年丙子10(カ)京極高直、父高三の死去(寛永13・9・13)により襲封、第二代田辺藩主となる上703
1636寛永13年丙子111高直、初めて将軍家光に謁し家督の礼を申し上げる 時に5歳 この日、家臣二人が高直へ随伴、初謁したが、それが三代後の高栄(豊岡藩主)の時まで例となる上703寛政重修諸家譜
1647正保4年丁亥713京極高直・稲葉紀通・小笠原貞信・細川興隆、江戸増上寺の普請につき助役を仰せつけられる上704徳川実紀
1647正保4年丁亥8(カ)高直、江戸城塁修築の助役を務める上704 
1647正保4年丁亥128先の地震で崩壊した江戸城塁修築が完成 この日、その助役を務めた京極高直など16大名の普請所へ出仕した家臣らに、小袖・羽織・白銀を賜る 徳川実紀
舟木家文書
1652慶安5年
(承応元年)壬辰
317高直、江戸参向公卿の館伴につき、法会へまいる勅使の伴を仰せつけられる 徳川実紀
1652慶安5年
(承応元年)壬辰
817高直、9月法会の勤番で裏門警衛を仰せつけられる 徳川実紀
1653承応2年癸巳23幕府、京極高直はじめ防火のことを奉行する大名5人へ、近ごろ火災が頻発するため厳に火を警戒すべき旨令する 徳川実紀
1653承応2年癸巳  高直、城中の時鐘を鋳造し、雲門寺住職賢室その銘文をつくる史52普明国師と雲門寺
1656明暦2年丙申93高直、これより先、宮津城再築のため建造物を移築されて破損した田辺城を、幕府に願い出て再興せんとする この日、前宮津藩主京極高広、所領のことにつき高直を幕府へ訴える その主旨は、田辺は京極宗家(宮津藩主)が丹後国主として領地ゆえ、同城の再興は不当であるとする上716 
1656明暦2年丙申94高広の上訴を取り扱った幕府実力者井伊直孝・保科正之、高広・高直を出頭させて双方に和議を命じ、高直が田辺を領地すべしと申し渡す上716 
1657明暦3年丁酉1219将軍家綱、江戸城白木書院において、京極高直の子高盛ら11人の初見の礼を受ける上704徳川実紀
1659万治2年己亥48高直、相良頼寛とともに江戸参向公卿の供応を仰せつけられる 徳川実紀
1663寛文3年癸卯1 当藩家老舟木直政ら5人、藩主高直の死去即日および葬礼日、自宅・城・瑞泰寺において切腹、殉死する上690
史25
 
1663寛文3年癸卯1 瑞泰寺第2世歴道上人、故藩主高直の菩提のために梵鐘をつくる 冶工加佐郡住椿甚兵衛各440 
1663寛文3年癸卯325京極高盛、父高直の死去(寛文3・1・7)により襲封、第3代藩主となる 弟高門に高2000石分与上704寛政重修諸家譜

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