西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 | 関連 | 出典 |
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1591 | 天正19年辛卯 | 4 | 23 | 京極高知、秀吉へ仕え、近江国蒲生郡内に高5000石の地を与えられる | 上678 | 寛政重修諸家譜 |
1593 | 文禄2年癸巳 | 10 | 13 | 京極高知、外舅毛利秀政の遺領、信濃国伊那郡内の高6万石余を継ぎ、飯田の城主となる | 上678 | 寛政重修諸家譜 |
1595 | 文禄4年乙未 | 4 | 19 | 京極高知、信濃国で加増され、都合知行地高10万石となる これより先、秀吉に羽柴の称号を与えられる | 上678 | 寛政重修諸家譜 |
1600 | 慶長5年庚子 | 8 | 23 | 京極高知、これより先、会津征伐に出陣し、途中、下野国小山から反転西上、この日、美濃国岐阜城攻略に加わる | 上678 | 寛政重修諸家譜 |
1600 | 慶長5年庚子 | 9 | 15 | 京極高知、関ヶ原の戦いで戦功を立てる | 上678 | |
1600 | 慶長5年庚子 | 11 | 京極高知、関ヶ原の戦功により加増、信濃国伊那郡飯田から丹後国へ国替となる | 上679 | ||
1600 | 慶長5年庚子 | 12 | 15 | 京極高知、丹後国を忠興家臣を通して受け取る | 上673 | |
1600 | 慶長5年庚子 | 12 | 17 | 高知、宗雲寺に禁制を下す | 上708 | 宗雲寺文書 |
1600 | 慶長5年庚子 | 12 | 25 | 高知、宗雲寺に禁制を下す智恩寺文殊堂に禁制を下す | 上708 | 智恩寺文書 |
1601 | 慶長6年辛丑 | 3 | 高知、加佐郡田辺に入城する(写真16) | 上679 | ||
1601 | 慶長6年辛丑 | 5 | 29 | 高知、智恩寺に同寺領を安堵する | 上708 | 智恩寺文書 |
1601 | 慶長6年辛丑 | 8 | 25 | 高知、桂林寺に同寺領を安堵する | 上708 | 桂林寺文書 |
1601 | 慶長6年辛丑 | 8 | 25 | 高知、宗雲寺に同寺領を安堵する | 上708 | 宗雲寺文書 |
1601 | 慶長6年辛丑 | 閏11 | 16 | 高知、智恩寺に同寺領九世戸文殊分を安堵する | 上708 | 智恩寺文書 |
1601 | 慶長6年辛丑 | 11 | 高知、成相寺境内に禁制を下す | 上708 | ||
1601 | 慶長6年辛丑 | 11 | 高知、金剛心院に禁制を下す | 上708 | ||
1602 | 慶長7年壬寅 | 9 | 26 | 高知、横田清左衛門へ与謝郡下宮津の内において、山林・竹木・海川を除き高600石の地を宛行う | 上706 | |
1602 | 慶長7年壬寅 | 12 | 3 | 高知、金剛院に同寺領を安堵する | 上708 | |
1602 | 慶長7年壬寅 | 12 | 3 | 高知、龍勝寺に同寺領を安堵する | 上708 | 龍勝寺文書 |
1602 | 慶長7年壬寅 | 12 | 3 | 高知、室尾谷観音寺に同寺領を安堵する | 上708 | 室尾谷観音寺文書 |
1606 | 慶長11年丙午 | 1 | 19 | 高知、江戸城修築を仰せつけられる | 上696 | 徳川実紀 |
1611 | 慶長16年辛亥 | 3 | 京極高三、父高知に連れられ京都二条城において、初めて徳川家康・秀忠へ謁する 時に5歳 | 上703 | ||
1611 | 慶長16年辛亥 | 3 | 高知、内裏造営を命じられる | 上696 | 徳川実紀 | |
1612 | 慶長17年壬子 | 9 | 28 | 高知、この年、四男万作を江戸へ出して人質とする 7月万作没するにより、この日、養子高通をこれに代える | 上696 | 寛政重修諸家譜 史料綜覧 |
1612 | 慶長17年壬子 | 12 | 12 | 高知、禁裏・仙洞造営において、仙洞築地の分役を務める | 上696 | 徳川実紀 |
1614 | 慶長19年甲寅 | 2 | 16 | 高知、駿府へ参って家康に謁する | 徳川実紀 | |
1614 | 慶長19年甲寅 | 3 | 高知、江戸城修築のことをうけたまわり、駿府のち江戸に赴く | 上696 | 徳川実紀 | |
1614 | 慶長19年甲寅 | 10 | 7 | 高知、京極忠高・森忠政・田中忠政らと江戸城修築終わり駿府へ参って家康に謁する 家康、速やかに帰国して出陣の用意を致すべしと仰せつける | 徳川実紀 | |
1614 | 慶長19年甲寅 | 11 | 高知、大坂の役冬の陣において、大和口の先手をうけたまわる | 上696 | 寛政重修諸家譜 | |
1615 | 慶長20年 (元和元年)乙卯 | 5 | 高知、大坂の役夏の陣において、京口の先鋒となりその出口に陣取る | 上696 | 寛政重修諸家譜 | |
1619 | 元和5年己未 | 9 | 将軍秀忠、在京中伏見城において阿部正次ほかに加増転封を仰せつけたが、高知へも、多年の忠勤を勧賞し加封すべきところ、欠地がないのでしばらく延滞する旨を、本多正純より伝えさす | 徳川実紀 | ||
1620 | 元和6年庚申 | 1 | 18 | 高知、大坂城修築において玉造口より大手門までと、京橋より靑屋口までの分役を仰せつけられる | 上696 | 徳川実紀 |
1622 | 元和8年壬戌 | 3 | 高知、本国居城において病にかかるにより、嫡男高広、看侍の暇たまわり帰国する この時、来国光の刀および馬を下される | 徳川実記 | ||
1622 | 元和8年壬戌 | 8 | 12 | 高知没する のち遺領は嫡子高広が高7万8175石を相続し、庶子高三に高3万5000石、養子高通に高1万石が分与されて、ここに宮津藩・田辺藩・峰山藩が成立する | 上701 |