舞鶴の山城109 大川城

おおかわじょう

・舞鶴市字大川小字由里ノ上他          
・遺構---曲輪、堀切、竪掘 ・占地---山頂    
・標高---150m ・比高---145m ・遺跡地図番号---105

 この城は大川神社の南に位置する。主郭を中心に南へ曲輪が連なり、北東には腰曲輪がある。北を除く三方向は急傾斜となっている。北の尾根は二重の堀切で遮断し、西側の斜面には竪堀を敷設している。南の尾根も堀切で遮断し、東尾根から登って来る道の取りつき部分は、斜面を切り落し切岸として使用している。大手道はこの東尾根を登って来る道であったと考えられる。

城主に関わる記録や伝承はない。

【土橋について】
 土橋とは堀切を掘り残し、橋の形にしたものである。敵が攻めてきた時、一人づつしか通れない様に規制し撃退しやすい構造にした施設である。たとえば、№38行永青山城は平入りの虎口と堀切にある土橋が6~7m程の距離で直線状にあり、虎口の両端の曲輪から攻撃できる構造となっている。また№26溝尻城は東から主郭に向うと土橋がある。土橋を渡ると通路は左に曲がり、この曲った上部にある曲輪から攻撃できる構造となっている。№115池田谷城は南から登城する通路に4本の堀切があり、すべて土橋の構造となっている(た)

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