西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 | 関連 | 出典 |
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1741 | 寛保元年辛酉 | 4 | 13 | 牧野惟成、初めて将軍吉宗に謁する | 上722 | 徳川実紀 |
1750 | 寛延3年庚午 | 11 | 29 | 牧野惟成、父明成の死去(寛延3・10・5)により襲封、牧野氏第5代藩主となる | 上722 | 徳川実紀 御系図大略 |
1766 | 明和3年丙戌 | 田口神社本殿、藩主牧野惟成を大檀那として再建される(府指定文化財) | 府庁文書 | |||
1767 | 明和4年丁亥 | 8 | 3 | 惟成、帰城する 当年が牧野氏の田辺城地拝領100周年となるによって、その祝儀を執り行う | 上723 | 加佐郡誌 |
1768 | 明和5年戊子 | 4 | 惟成、多門院村忠右衛門女さん及び公文名村伊左衛門男源太郎の孝養を賞して、蔵米を給する | 上1206 | 田辺孝子伝 | |
1768 | 明和5年戊子 | 7 | 1 | 太田資愛・牧野惟成・本多助盈、共に奏者番となる | 上722 | 徳川実紀 |
1771 | 明和8年辛卯 | 4 | 24 | 惟成、就封すべき年であるけれども暇をたまわらず、明年6月暇下さるべしと仰せられる | 徳川実紀 | |
1777 | 安永6年丁酉 | 2 | 2 | 惟成、朝代町長兵衛女いよの孝養を賞し、惟成50年賀の祝儀として鳥目1貫文を給する | 上1206 | 田辺孝子伝 |
1777 | 安永6年丁酉 | 9 | 15 | 奏者番牧野惟成、寺社奉行を兼ねしめられる | 上722 | 徳川実紀 |
1783 | 天明3年癸卯 | 9 | 16 | 牧野宣成、父惟成の死去(天明3・6・12)により襲封、牧野氏第6代藩主となる | 上723 | 徳川実紀 加佐郡誌 |