西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 | 関連 | 出典 |
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1852 | 嘉永5年壬子 | 6 | 5 | 牧野誠成、父節成の致仕によって襲封、牧野氏第9代藩主となる | 上725 | 続徳川実紀 |
1852 | 嘉永5年壬子 | 7 | 1 | 誠成、初めて就封の暇をたまわる | 続徳川実紀 | |
1853 | 嘉永6年癸丑 | 3 | 24 | 誠成、江戸城西ノ丸普請の手伝いを仰せつけられる | 上725 | 続徳川実紀 |
1853 | 嘉永6年癸丑 | 8 | 誠成、アメリカ国書に対する所見を上陳する | 維新史料綱要 | ||
1853 | 嘉永6年癸丑 | 12 | 28 | 誠成、江戸城西ノ丸普請御用を務め、時服10たまわる | 続徳川実紀 | |
1855 | 安政2年乙卯 | 2 | 2 | 誠成、当秋、大坂加番を仰せつけられる 誠成は田辺在城につき、奉書をもってこれが達せられる | 上725 | 続徳川実紀 |
1857 | 安政4年丁巳 | 12 | 晦日 | 誠成、幕府に国体不容易の時節ゆえ断然改革の機会にこれあるべく、万国普通の法例に改革あらせられること、諸外国との交通の儀は国辱と存じないことを上書する(史料) | 幕末外国関係文書 | |
1858 | 安政5年戊午 | 4 | 8 | 誠成、将軍の名代として日光参詣のため、お暇につき御目見する(4・20日光参拝、4・24日光より帰謁) | 上725 | 続徳川実紀 |
1859 | 安政6年己未 | ○誠成、三上影雄(是庵)を聘して学事を担当させる | 上1174 | |||
1861 | 万延2年 (文久元年)辛酉 | 6 | 20 | 誠成、江戸におけるフランス人宿舎となった麻布の済海寺・正泉寺・大僧寺警固を仰せつけられる | 上725 | 加佐郡誌 |
1862 | 文久2年壬戌 | 閏8 | 22 | 誠成、参勤交代制緩和につき来々子年(元治元)に参勤、夏中在府を命じられる(雁間詰は大約100日を限り在府) | 続徳川実紀 | |
1864 | 文久4年 (元治元年)甲子 | 3 | 15 | 誠成、将軍家茂宿営の京都二条城の警衙を仰せつけられる | 上725 | 加佐郡誌 |
1864 | 文久4年 (元治元年)甲子 | 7 | 20 | 誠成、京都御所の警衛を仰せつけられる | 上725 | 加佐郡誌 |
1864 | 文久4年 (元治元年)甲子 | 9 | 10 | 誠成、奏者番を命じられる | 上1162 | |
1865 | 元治2年 (慶応元年)乙丑 | 12 | 2 | 誠成、芸州表へ海陸出張割合において、松平忠礼とともに陸路6日目出張を命じられる | 続徳川実紀 | |
1866 | 慶応2年丙寅 | 6 | 28 | 松平光則・内藤政挙・牧野誠成、芸州口討手を仰せつけられ、応援の心得をもって急速出張致すよう達しを受ける | 上725 | 続徳川実紀 |
1866 | 慶応2年丙寅 | 7 | 17 | 誠成、藩兵の寡少を以て征長出兵を辞し、当藩の防衛を専らにせんことを請う 7・22幕府、藩地非常の際は幕府兵および園部藩兵に応援せしめるとして、これを許さず | 維新史料綱要 | |
1866 | 慶応2年丙寅 | 8 | 5 | 誠成、安芸口征長軍応援のため海路大坂を出発する 翌日、幕府、石見口応援のため松江に向うよう更令 | 維新史料綱要 | |
1866 | 慶応2年丙寅 | 8 | 15 | 誠成、芸州口討手応援を免じられ、丹後近海警備のため、この日、帰城する | 上1167 | |
1867 | 慶応3年丁卯 | 5 | 25 | 誠成、当年が牧野氏の田辺城地拝領200周年となるにより、歴代の祖霊を城内大書院において祭る 他日、家臣を供応、領民へも酒肴を給する | 上726 | 加佐郡誌 |
1868 | 慶応4年 (明治元年)戊辰 | 1 | 5 | 藩主牧野誠成、大坂へ向け出立、途中で引返し同日中に帰城する | 上1168 | |
1868 | 慶応4年 (明治元年)戊辰 | 1 | 18 | 藩主牧野誠成、少々快方に向い上京せんとしたが、中止となる | 上1169 | |
1868 | 慶応4年 (明治元年)戊辰 | 2 | 3 | 藩主牧野誠成、病の小康を得て上京、2・6着京、新政府に伺候する | 上1169 中9 | |
1868 | 慶応4年 (明治元年)戊辰 | 3 | 15 | 藩主牧野誠成、帰国許され、翌日田辺へ出発 | 中9 | |
1869 | 明治2年己巳 | 1 | 2 | 藩主牧野誠成、小御所(京都)で明治天皇に拝謁 | 中11 | |
1869 | 明治2年己巳 | 3 | 2 | 藩主牧野誠成、版籍奉還の上表を提出 | 中15 | |
1869 | 明治2年己巳 | 3 | 5 | 藩主牧野誠成死去、長男弼成あとを継ぐ | 上726 中17 |