牧野宣成の年表

西暦和暦出来事関連出典
1783天明3年癸卯916牧野宣成、父惟成の死去(天明3・6・12)により襲封、牧野氏第6代藩主となる上723徳川実紀
加佐郡誌
1783天明3年癸卯1215宣成、初めて将軍家治に謁する上723徳川実紀
1784天明4年甲辰519宣成、病難よけの祈祷札を町中へ配布、各町ではお礼に惣参り、臨時待ち、日尽しを行う上1093
1784天明4年甲辰623宣成、初めて就封の暇をたまわる徳川実紀
1785天明5年乙巳828宣成、南有路村兵助・源五郎兄弟の孝養を賞して、父母ともそれぞれに生涯1人扶持(年米1石7斗7升)ずつの養老米を給する上1206田辺孝子伝
1787天明7年丁未 ○春、宣成、上漆原村定次郎妻つぎの孝養を賞して、舅姑生涯1人扶持ずつの養老米を給する上1207田辺孝子伝
1788天明8年戊申天明年中(1781~)に、宣成、田辺城内三ノ丸に藩校「明倫斎」を開設する上723
1788天明8年戊申宣成、大坂の儒者御牧忠藏を招いて藩儒とし、学事を司らせる上723
1789寛政元年己酉510宣成、大内町市右衛門・ふり夫婦の孝養を賞して、鳥目を給する上1209田辺孝子伝
1789寛政元年己酉9宣成、堀上町善右衛門の孝養を賞して、鳥目を給する上1207田辺孝子伝
1789寛政元年己酉11宣成、引土町利兵衛の孝養を賞して、鳥目を給する上1207田辺孝子伝
1790寛政2年庚戌宣成、池内下村重次郎・ろく夫婦および城屋村喜左衛門女福(女布村六右衛門妻)の孝養を賞して、鳥目を給する上1207田辺孝子伝
1793寛政5年癸丑春、宣成、伊佐津村庄七妻さよ及び岡田由里村吉左衛門妻かんの孝養を賞して、鳥目を給する上1207田辺孝子伝
1794寛政6年甲寅44宣成、将軍の名代として日光参詣を仰せつけられる上723御系図大略
1800寛政12年庚申5宣成、大俣村与惣右衛門・友吉兄弟の孝養を賞して、鳥目を給する上1207田辺孝子伝
1802享和2年壬戌1017宣成、八田村徳右衛門・きわ夫婦の孝養を賞して、鳥目を給する上1209田辺孝子伝
1802享和2年壬戌10宣成、桑飼下村安四郎妻かる及び中山村与兵衛妻そよの孝貞を称誉する上1207田辺孝子伝
1802享和2年壬戌宣成、石浦村福松、八田村惣右衛門・さよ夫婦、東吉原町甚六のそれぞれ孝養を賞して、鳥目を給する上1207田辺孝子伝
1803享和3年癸亥510宣成、東海道および甲斐国の諸河川の普請手伝いを仰せつけられる上723続徳川実紀
御系図大略
1804文化元年甲子821宣成、病によって請うままに致仕を許される上723続徳川実紀
1804文化元年甲子821牧野以成、父宣成の致仕により襲封、牧野氏第7代藩主となる上724続徳川実紀
「舞鶴市史年表」より

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