西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 | 関連 | 出典 |
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1678 | 延宝6年戊午 | 5 | 28 | 牧野英成、伯父冨成に男子なく、その養子となる | 上721 | 御系図大略 |
1681 | 延宝9年 (天和元年)辛酉 | 9 | 5 | 牧野英成、初めて将軍綱吉に謁する | 上721 | 徳川実紀 |
1693 | 元禄6年癸酉 | 7 | 16 | 牧野英成、父冨成が田辺において重病のため、看侍の暇をたまわる | 徳川実紀 | |
1693 | 元禄6年癸酉 | 10 | 2 | 牧野英成、父冨成の死去(元禄6・8・6)により襲封、牧野氏第3代藩主となる | 上721 | 徳川実紀 |
1705 | 宝永2年乙酉 | 4 | 18 | 英成、品川表海浚え手伝を仰せつけられる | 上721 | 御系図大略 |
1705 | 宝永2年乙酉 | 12 | 1 | 英成、品川表浚えを完了し、時服10を拝領する | 徳川実紀 | |
1710 | 宝永7年庚寅 | 2 | 16 | 英成、江戸参向の前関白鷹司兼熈の馳走役を仰せつけられる | 上721 | 徳川実紀 |
1712 | 正徳2年壬辰 | 2 | 2 | 牧野成央・加藤泰恒・牧野英成、銀町より芝口門までの防火を命じられる | 徳川実紀 | |
1714 | 正徳4年甲午 | 9 | 6 | 松平信祝・牧野英成、共に奏者番となる | 上721 | 徳川実紀 |
1715 | 正徳5年乙未 | 2 | 11 | 英成、日光山法会につき、新道口の警衙を命じられる | 徳川実紀 | |
1716 | 正徳6年 (享保元年)丙申 | 10 | 18 | 英成、江戸城二ノ丸火ノ番を仰せつけられる | 上721 | 御系図大略 |
1717 | 享保2年丁酉 | 4 | 3 | 英成、将軍の名代として日光参詣を仰せつけられる | 上721 | 御系図大略 |
1719 | 享保4年己亥 | 4 | 2 | 英成、将軍の名代として日光参詣を仰せつけられる | 上721 | 御系図大略 |
1724 | 享保9年甲辰 | 12 | 15 | 奏者番兼寺社奉行牧野英成、京都所司代を命じられ、侍従に任じられる | 上721 | 徳川実紀 |
1725 | 享保10年乙巳 | 1 | 28 | 京都所司代牧野英成、赴任の暇を下され、備前近景の刀・馬・金・時服・羽織をたまわる | 徳川実紀 | |
1734 | 享保19年甲寅 | 6 | 6 | 京都所司代牧野英成、病により請うままに職を許される | 上721 | 徳川実紀 |
1736 | 元文元年丙辰 | 12 | 英成、溝尻村喜右衛門女なあの孝養を賞して、蔵米を給する | 上1206 | 田辺孝子伝 | |
1737 | 元文2年丁巳 | 10 | 2 | 英成、致仕して暁覚と称する(写真25) | 上722 | 徳川実紀 |
1737 | 元文2年丁巳 | 10 | 2 | 牧野明成、父英成の致仕により襲封、牧野氏第4代藩主となる | 上722 | 徳川実紀 |