余部上村の「作方年中行事」12月

X、#太郎左衛門のつぶやき、で記した農作業は、余部上村の「作方年中行事」(井上奥本家文書)を基にしている。太郎左衛門は、余部上村庄屋、文化10年(1813)7月に「作方年中行事」を藩に提出した。余部上村を中心に、西から久田美・青井・大山・成生・野原村の行事と比較し参考とする。これまで旧暦なので約1ヶ月遅れとしたが、年末年始の行事が多く12月の日付は新暦と同じである。
 米の年貢上納が終わり、12月に入ると、小豆や胡麻の上納の他、11月に続いて薪樵を行い、雨の場合は藁仕事、綿打、木綿の糸引となる。雪の場合もあり、地域の特徴が現れている。

12月28日
今日は正月の御供を分限に応じて、2升、3升程づつ作って供える。粟・きび・ゆり粉餅も作る。野原や成生も餅に粟を混ぜた餅、大山は27日餅粟をついて、きび・ゆりこ・よもぎ餅を作るとのことだ。このほか、野原は氏神へ松を立てるそうだ。正月の準備が進む。

12月31日
今日は大晦日、松餝り、家内の掃除をして仕舞い納めの日だ。夜に入って、村内互いに歳末の祝儀を行う。久田美では、町方へ行き支払いをすまし、正月の用意をするとのこと。このあたりでは、町方への払いは29日だった。野原や青井、成生も正月の用意、松飾りを行う

京都府立大学文化情報研究室・舞鶴地方史研究会「翻刻 作方年中行事・山論・献立・日露戦争」 京都府立大学文化遺産叢書16『舞鶴の地域連携と世代間交流 井上奥本家文書調査報告』160(1)-139(22)頁、2019

十二月
朔日 男女薪樵、雪天ニ而ハ、男女共内仕事
二日 右同断、此時分ニ小豆上納致候
三日 右同断
四日 稲木あと菜種中打、或ハ薪樵、雨天ニ而ハ藁仕事、又綿打、女ハ木綿拵
五日 右同断
六日 右同断
七日 右同断
八日 右同断
九日 こゑもち、薪樵、雨天ニ而ハ藁仕事、或綿打、女ハ木綿糸引
十日 右同断、此時分ニ胡麻上納致候
十一日 右同断
十二日 右同断
十三日 すゝ払い、下人男女入替、此日定也
十四日 こへ持、或ハ薪樵、雨天ニ而藁仕事、又ハ綿打、女木綿糸引
十五日 右同断
十六日 右同断
十七日 右同断
十八日 右同断、且又蕪少々引、残り春引
十九日 右同断
廿日 右同断
廿一日 右同断
廿二日 こゑもち、薪樵、雨天ニ而ハ藁仕事、又ハ綿打、女木綿糸引
廿三日 右同断
廿四日 右同断
廿五日 右同断
廿六日 右同断
廿七日 右同断
廿八日 正月御供分限相応弐升、三升程ツヽ御供致、又粟・きび・ゆり粉餅致候
廿九日 出町致、何角諸払差引致候
大晦日 松餝、家内掃除致、何角相仕舞候而、夜分に村方歳末祝儀、互ニ相勤申候

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