X、#太郎左衛門のつぶやき、で記した農作業は、余部上村の「作方年中行事」(井上奥本家文書)を基にしている。太郎左衛門は、余部上村庄屋、文化10年(1813)7月に「作方年中行事」を藩に提出した。余部上村を中心に、西から久田美・青井・大山・成生・野原村の行事と比較し参考とする。5月からはじめたつぶやき、ちょうど1年をめぐったことになる。
4月4日
4月に入って1日には苗代へ種まきをして、水田の岸の切り落としを行う。大麦をつき、牛の草苅を行う。2日から肥草を苅り、苗代を干すが、水を入れたり干したりすることで丈夫な稲ができる。そして、3日から苗代の見廻りが続く。
4月8日
今日は半日休で、肥草苅の後、昼より寺へ参ったり、松尾寺へ参詣する。卯月八日は釈迦の降誕日で、松尾寺で仏舞が行われる。久田美でも休日、老人は近所の寺へ参り、若者は諸宮へ参るとのことだ。
4月14日
昨日は久しぶりに半日休、そのあと肥草を苅った。今日は肥持ちと水田の畦塗りをした。その後、水田の岸を刈り、昼から畦ものといって、畦に大豆を植えるが、その土地の様子により、小豆や稗を植えることもある。
4月20日
17日から田の土をこなし、肥草や田の畦草を刈ったりする。20日頃から早麦を刈り取り、順番に土をこなし、稲の植え付けを行う。菜種の跡も同じように鋤く。
4月26日
田の土のこなし、肥草や早麦を刈る作業は続く。24日は半日休、昨日は菜種もみもはじまり、明日から大麦苅や、菜種地のすきつめ打ち、畑のきび植えがはじまる。
24日の休日には、野原や成生では愛宕講を行うとのことだ。
4月晦日
今日から麦苅りやすきつめ打ち、麦の畝をこなしたり、牛の草苅りを行う。また、桑飼下村では、26日から5月11日まで、菜種・麦・えんどうを苅り、水田を打込み、田を鋤いて田植の準備をする。大豆・小豆・稗などの畔物、黍や茄子・たんご瓜等を植える、という。
京都府立大学文化情報研究室・舞鶴地方史研究会「翻刻 作方年中行事・山論・献立・日露戦争」 京都府立大学文化遺産叢書16『舞鶴の地域連携と世代間交流 井上奥本家文書調査報告』160(1)-139(22)頁、2019
四月
朔日 苗代へ種まき致し、又ハ水田岸おろし、女大麦つき、又ハ牛之草苅
二日 男女共肥草苅、苗代干
三日 右同断、苗代見廻り
四日 右同断
五日 右同断、且又菜種之稲木拵
六日 右同断
七日 右同断
八日 半日休、男女肥草苅、昼ゟ寺参り、又ハ松尾参り致し
九日 男女共肥草苅、又ハ菜種苅、苗代見廻り
十日 右同断
十一日 右同断
十二日 右同断
十三日 半日休、男女共肥草苅
十四日 こへもち、或水田あぜぬり、女肥草苅、水田岸かり、昼ゟあせものと申大豆植地生により、小豆又ハ稗植
十五日 右同断
十六日 右同断
十七日 水田こなし、女子供ハ肥草苅、又ハ水田岸苅
十八日 右同断
十九日 水田こなし、菜種あとすき、女子共ハ肥草苅
廿日 右同断
一此時分ゟ早麦苅追々仕こなし植付、飯米致し
廿一日 こへ持、水田こなし、女子供ハ肥草苅、又ハ早麦かり
廿二日 右同断
廿三日 右同断
廿四日 半日休、水田こなし、女ハ牛之草苅、早麦苅
廿五日 男女共菜種もみ、雨天ニ而ハ水田こなし、女ハ牛之草苅
廿六日 右同断、又ハ早麦苅
廿七日 男女共大麦苅、田すき、菜種地すきつめ打、女ハ牛草苅、又ハ畑きび植
廿八日 右同断
廿九日 右同断
晦日 男女共麦苅、又ハすきつめ打、女麦うねこなし、岸かり、又ハ牛之草苅